【講演会・フォーラム】
【日野秀逸先生の医学概論・・連続5回】
医療倫理の展開を訪ねる旅-
日野秀逸
医師、医学博士(大阪大学)、経済学博士(東北大学)
【第2回】
「中世ヨーロッパの黒死病が医療倫理にもたらしたもの」
→2度の黒死病大流行が社会・経済・医療に及ぼした影響
- ギリシャ医学を総括したガレノス
- ローマ時代の公衆衛生
- 封建制社会への移行
- 封建時代の医学・医療
- ギリシャ医学→アラビア医学→ルネサンス→近代医学→現代医学
- ルネサンスの医学・医療
- ペスト大流行がもたらしたもの―社会、経済、医学、医療
1. 差別的医療観の形成
- ギリシャ医学を総括したガレノス
- ローマ時代の公衆衛生
- 封建制社会への移行
- 封建時代の医学・医療
- ギリシャ医学→アラビア医学→ルネサンス→近代医学→現代医学
- ルネサンスの医学・医療
- ペスト大流行がもたらしたもの―社会、経済、医学、医療
2. 理性的健康観の登場
7-1 エピクロス哲学
○ 快楽主義哲学
○ 快とは
7-2 エピクロスの健康観
○ 状況を理性によって認識し受容する
○ 今日のホスピスケアにつながる
○ 諦観的・非実践的立場→当時の医学水準に規定された考え方
エラシストラトスを経てガレノスへ
- 改めてヒポクラテス(派)の医学とは
- 医学者としての評価
- 医師としての評価
- アレキサンドリアの医学:B.C.3世紀、アレクサンドリアを中心とするへレニズム初期に、ギリシア古典文化がアレクサンドロス大王の外征を契機としてオリエントの遺産を吸収することによって、急速に目覚ましく発展したヘレニズム文明の一環。
- 初期アレクサンドリア医学の双璧をなすのは、ヘロビロス(生没年不明)と、エラシストラトス(前三〇四?-二五〇)。
- 解剖学史を飾る偉大な学者へロビロスは、脳神経系の解剖学で知られた。アリストテレスの心臓中心説を排し、こころの座を脳に置いた。彼はまたすぐれた生理学者でもあった。
- エラシストラトスも、解剖学者・生理学者。特に注目されるの、デモクリトス(前四六〇?-三七〇?)の原子論を受けて、体液病理説を斥け(反ヒポクラテス主義者の最初の旗手)、固体病理学の立場をとった。
彼はまた生命現象を統御する実体としてのプネウマ(pneuma, spirit)学説を初めて明確に説いた。
ガレノスの医学(別紙参照)
- 後129年、ペルガモンに生まれ、主としてローマで活動し、199年に生涯を終えた、類いまれな器量をもった大学者。
医学・哲学の諸方面にわたって大量の著作を残した。
- 当時ロ-マでしのぎを削っていた医学諸派のいずれにも属さなかったが、みずから正統のヒポクラテス主義者をもって任じ、『集典』の文献批判、本文註解にすぐれた業績を挙げ、史上最初のヒポクラテス学者に数えられる。
- ローマ時代後期から中世全体にかけて、ガレノス主義が西方の医療を覆った。
教条化されたガレノス理解に基づく、いささか思弁的傾向を持つ、教義的薬物使用を核とする医療である。
- 近代医学は、ベサリウスによる「人体の構造について」( 1543年)によって始まる。ベサリウスはガレノス批判を行った。
ウィリアム・ハーヴイによる「血液循環の理論」(1628年)は、生理学の面で、ガレノスを超えた。
ローマ時代の医学・医療・公衆衛生
- ローマの社会構造→都市国家ギリシャと世界帝国ローマ
- 皇帝、元老院を頂点とする奴隷所有大貴族の一群が、平民(二極分解)、奴隷、属州の人民を統治し支配するローマでは、もはや医師と患者の1対1の水平的関係に基づく市民の医療は存在が困難になる。
- ローマでは支配対被支配のもとで、衆愚の医療が前面に出る。
- 古代ローマの公衆衛生は世界帝国ローマの支配の維持と強化を目的として、驚くべき構想力と計画性を発揮しつつ展開された。成果のおもなものは貴族・富裕層が享受した。
- 軍陣病院:軍事的・植民地支配的要請
- 水道:裕福な層に特権的利益をもたらした
- パンの配給や公衆浴場やヴァレトゥディナリア(Valetudinaria=病人収容施設)
:奴隷・貧民に対する治安対策として発展した。
奴隷制から封建制へ
- 経済的には奴隷による農業がむしろ生産力の発展を妨げるようになった。
奴隷はいくら働いても何にも自分のものとはならないので、生産を高める意欲を持つことができない。
改良された鋤や鍬などを与えられても、乱暴に扱うし使い方を覚えようともせず、壊してしまうことも少なくなかった。
- 政治的には、軍事や政治の担い手であった市民層の没落によって、政治は一部の貴族による専制政治になり、軍事はゲルマン民族などの「蛮族」を雇ってまかなう。
- 古典古代の奴隷制社会は、経済的にも政治的・軍事的にも、市民の役割が著しく低下し、経済的には生産力の発展の邪魔になってしまった。
封建制社会の構造
- 基本的生産手段である土地は、封建領主が所有し、農奴と呼ばれる農民に土地を使わせて耕作をまかせ、そのかわり一定の税を地代として納めさせる。
- 収穫をあげれば、その4割なり5割が農奴の手元に残るので、奴隷比べれば、やる気が出てくる仕組み。
- 封建制のもとで、農民は多くの拘束を受けていて、職業選択の自由、住居選択の自由、着るもの、食べ物を選択する自由が制限された。
このために、奴隷よりはましであるが、依然として自由を束縛された人々という意味で、農奴と称する。
- キリスト教と世俗権力(王権神授説)による支配
封建社会の生活問題
- 領主は農奴に対して税を納めさせたり、働かせたりする権利を。農奴から見れば税を納める義務、領主に労力を提供する義務。
- 他方で領主は、農奴に対して、保護の義務を負う。農奴から見れば、領主に自分たちを守らせる権利。
こうした関係を封建的双務関係と言う。双方に義務がある、ということ。
- 基本的には、家族・近隣が生活問題に対応する日常的な場。
- 都市部では、この上に、同業者組合(ギルド)が加わる。
- ギルドは相互扶助組織でもある。病人への見舞金、寡婦・遺児の保護養育、子女の結婚持参金、病気の際のベッド確保費用、葬式経費等に使うための積立金制度を持っていた。
ギルドは生活問題への対処機関だった。
アラビア医学
- アラビア医学は8世紀半ばに、まず古典の翻訳から始まる。
- 初期の訳業は、シリア語からの重訳が中心。それは5世紀に異端によってローマ帝国を逐われたネストリウス派によって、ギリシアの医学がシリアを経て西南ペルシアに移植され、シリア人たちの手で多くの古典文献がシリア語に翻訳されていたから。
- ギリシア語原典からのすぐれた翻訳者も現われるようになり、10世紀の半ばごろには、ギリシア医学の代表的な著作のアラビア語訳はほとんど出そろった。
- 絶頂期は13世紀。医学理論(ガレノス文献のアリストテレス主義に立つイスラム学者の思索による体系化)、疾病記述論(nosography)、薬局方(pharmacopea)の編纂、心理学的洞察とイスラムの人道主義に支えられた精神療法、病院は施設、学問的内容、運営から見て、病院史の中で特筆すべき水準。
- 病院で臨床医学教育を受けるという近代的な方式はイスラムに始まった。
アラビアから西欧への環流
- ローマ帝国の遺産とアラビア医学
- 十字軍がアラビア医学への理解を進めた
- 翻訳
- アラビア語→ラテン語→ギリシャ語
- ギリシャ医学への関心
- サレルノ医学校――その国際性
- ボローニャ大学
- パドヴァ大学
ルネサンスの医学
- 世俗が医学と医療を担う
- 背景には地中海貿易によって巨万の富を得た商人(メディチなど)
- ヴェサリウスとコペルニクス
- 地中海から大航海とハンザ同盟
- ライデン、リューベック
- ライデンからパリとウィーンとベルリンへ
- ベルリンから日本等へ
- エディンバラへ
- エディンバラからアメリカ東海岸へ
ペスト大流行のインパクト(1)ー経済へ
- ペストによる人口の減少は、12世紀以来進行していたマナーの解体を一挙に進め、資本主義化への触媒となった。
- 深刻な労働力不足によって、領主の直営地を耕す農奴が不足し、領主たちは、賃労働者としての農業労働者を雇うようになっていく。
- 領主が農業経営から手を引いて、土地を他人(借地農)に貸してしまい、借地農が農業労働者を雇って農業経営にあたるという形も。
- 農業労働者を雇用するという、資本主義的農業経営に。
- 封建的経済から資本主義的経済への巨大な歩みが、ペストによって大きく加速された。
- 従来からの支配層であった領主層に加えて、借地農から地主になった者や、羊毛の原料である羊の牧畜で成り上がった者が、ジェントリー層となり、貴族とジェントリーが、イギリス資本主義の支配階級であるジェントルマン階級を形成。
医学・学問・信仰ー総じて権威へ
- 西方封建社会の医学(学問全体)が、キリスト教の権威と不可分に結合していた。その体現者としての医師は、聖職者と並んで、権威ある専門職(プロフェッシヨン)として、社会的尊敬と経済的地位を獲得していた。
- ペストは(伝染病は多かれ少なかれそうだが)、大規模に医師の無力を誰の目にも分かるように、暴露した。僧職者も医者も逃げたからである。
- ボッカチョの『デカメロン』は、ペストを避けて旅に出た10人の男女が、つれづれの慰めに各人が物語るという設定であった。『デカメロン』にも見られるように、キリスト教に対する信頼の失墜は、ペストがもたらした重大な思想的インパクトであった。
- 当時の医療の中心的担い手であった修道院は、ペストに対して無力さをさらけ出した。修道院、総じて教会をバックにした医療は、宗教的権威と結びついて成り立っていた。
ところが、僧侶も医師も、自らがペスト来襲を前にして逃げ出した事実は、その権威を大いに損なうことになったのである。
- 信仰について言えば、ペスト大流行の時期に引き続いて生じたジョン・ウィクリフやジョン・ボール(「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰がジェントリだったのか」」たちのキリスト教批判と改革運動は、のちのチェコのヤン・フスやドイツのマルチン・ルター等の宗教改革運動の先駆けとなった。
イギリスにおいて宗教改革の中心地になった場所の多くは、ペストが盛んに流行した地域である。
改めてヒポクラテス誓詞を考える
- 患者の為に
- 害はなさない
- 患者から当事者に=複数、社会が当事者に
- 何が害なのか、誰の害なのか
- (ⅰ)
- 性と生殖:他人の精子・卵子による人口授精、代理母
- (ii)
- 遺伝子:ハンチントン病などの遺伝子による壮年以降の発病・予後不良な病気への対応、遺伝子診断
- (iii)
- 人工透析などの資源配分をめぐる問題
参考文献
- 日野秀逸・野村拓、医療経済思想の展開、医療図書出版社、1974
- 日野秀逸、健康と医療の思想、労働旬報社、1988
- 日野秀逸、保健活動の歩み、医学書院、1995
- 川喜多愛郎、近代医学の史的基盤、岩波書店、1977(1979年日本学士院賞受賞)
- 村上陽一郎編、知の革命史(第6巻 医学思想と人間)、朝倉書店、1979。
1章「医療と医学の発生」、2章「西欧中世医学史の教えるもの」
- 川喜多愛郎、生命・医学・信仰、新地書房、1989