【講演会・フォーラム】
【日野秀逸先生の医学概論・・連続5回】
医療倫理の展開を訪ねる旅-
日野秀逸
医師、医学博士(大阪大学)、経済学博士(東北大学)
- 1945年
- 宮城県石巻市出身
- 1970年
- 東北大学医学部卒業
大阪大学医学部、国立公衆衛生院衛生行政学部、都立大学人文学部社会福祉専攻を経て
- 1997年〜
- 東北大学大学院経済学研究科教授
- 2005年〜2008年
- 研究科長・学部長
- 1986~1995年
- 東京都中野区福祉審議会委員
- 1989年〜
- 労働運動総合研究所常任理事・社会保障研究部会長
- 1998~2010年
- 自治体問題研究所理事
- 2002年〜2010年
- 国民医療研究所所長
- 2009年〜2010年
- 日本生協連医療部会副運営委員長
- 2010年〜2013年
- 日本医療福祉生協連副会長理事
- 2013年6月〜
- 同 政策室長
- 2011年〜
- 東日本大震災復旧復興支援みやぎ県民センター代表世話人
【第1回】
古代の医学・医療の特徴とギリシャにおける階級的・差別的医療。
その中でのヒポクラテス派の実践
人間が人間に働きかける動機・規範としての倫理
- 歴史的に変化する→本能と違う
- どのような構造の社会なのかによって異なる
- 中国文化大革命期に「ベートーベンはブルジョアジーの音楽家」という「批判」が出回った。
ブルジョアジーが最も先進的な階級であった時代のベートーベンを、ブルジョアジーだから反動的というのは、言いがかり
- ヒポクラテスには、「インフォームド・コンセントという基本的人権の視点が無い」という批判も同様に滑稽
- 歴史の中でのみ倫理を語ることができる
人間が人間に働きかける動機・規範としての倫理
- 労働の3要素-①労働力=労働能力 ②労働対象 ③労働手段
- 医療労働では③は「人間の健康という観点から把握された人体(精神を含む)と環境」
- 労働対象を規定する要因
- ①
- 労働手段→認識(医学)とその手段を使いこなす労働者を前提とする。労働手段は、労働の社会的測定器
- ②
- 社会保障(社会保険)
- ③
- 人権思想(基本的人権=①生命の尊重=25条 ②人格の尊重=13条 ③他者を道具としない)成熟・定着
- ④
- 資本主義の発展段階。
原始時代の病気と医療と経済
人類史の99%は原始共産制社会
世界的に見れば、人類史の99.8%が原始共産制社会であり、日本では(今のところ人間が住みだしたのが約20万年前)卑弥呼時代まで、約91.5%が原始共産制社会になる。
この社会は、血縁を中心に部族共同体で暮らしをたてていた。
最近の発見では、類人猿と人類が別れたのは550万年ほど前になるようである。
原始時代の健康観
この時代は「自然・人・文化が一体となった」社会であった。特に人間の暮らし、運命は、自然条件によって大きく左右されたため、彼らは自然を信仰の対象とした(自然信仰)。
部族の守り神(部族によって、熊や蛇や鷲等の動物あるいは植物、さらには太陽などの自然物が守り神とされた)との一体感を保っている状態が、健康な状態にほかならなかった。
この一体感が不安定になった場合に異常な行動を示した。
ストレスの多い社会
- 伝染病は重大な社会問題。手の施しようがなく、実際にとった行動は別の土地への移動。→トロイや奈良
- 実際に社会的な問題になるのは、異常な振る舞いをする人。
- 原始社会はストレスの多い社会。自分を取り巻く森羅万象、つまり、風が吹く、雷が鳴る、人が死ぬ、狩りがうまくいかないなど、それらが何故そうなるのかがわからないことがストレスに。
- 物事の理由がわからないというのは、大きな不安の原因になる。彼らの暮らしは不安の連続であった
- 共同体維持のための診断と治療
- 診断の内容:①守り神に対する不敬②外部からの呪い
- 治療儀式:精神的カタルシスを経て、守り神からの許容、部族メンバーからの受容
- 費用は部族全体で負担。平等な医療。
食糧の増産と奴隷の発生
- 狩猟・採取経済から農耕・牧畜へ。
- 生活と経済の単位が家族に。部族総出の狩猟や採取に頼る生活とは違って、農耕と牧畜は一定の土地での家族単位の生活を可能に。
- 土地は部族全体の所有。日当たりや土地の肥沃さの点で不平等にならないように、順番に取り替えて使った。
- 家族単位の経済に移ると、若い男の人数の多い家族は有利。偶然をきっかけとした労働力の差が家族間にあらわれてくる。
- 働き手の多い家族が少ない家族に、労働力や食料を貸してやることを通じて家族間の社会的立場の差となり、ついには借財を返せないために貸し手に所有されて働かされる者も出てきた。これが借財奴隷。
- 他の部族との戦闘で捕虜を手に入れても、自分たちの食べる分しか食料が手に入らなければ、捕虜を生かしておくことはできず、むしろ食糧として食べてしまった。
- 農業生産力が向上して、捕虜を養うことが可能になり、殺すよりも働かせるほうが経済的に有利となった。
これが捕虜奴隷である。
- かくして、奴隷制社会が形成される。
階級の発生と東洋的専制的奴隷制社会
- 奴隷制を社会の経済的土台とする社会が古代奴隷制社会。経済的に有力になった家族たちは、その地位を守り安定させるために政治的にも軍事的にも有力な地位を独占。階級が形成され支配のための仕組みができた。国家の成立である。
- 人類史上最初の階級社会が古代奴隷制社会。主な働き手は奴隷であり、奴隷所有階級が支配階級。
古代奴隷制社会には総体的奴隷制といわれる東洋の専制支配、ギリシャ・ローマを典型とする古典古代奴隷制がある。
- 古代東方諸国では土地の共同体的所有が残り、土地私有制度は発展しなかった。
大河流域における灌漑農業は、治水・播種・刈り入れのために、一定の時期に、一定の場所に、多くの労働力を集中的に動員することが必要。
- このために氏族共同体の共同労働を必要。階級社会に入っても共同体的結合は存続。このような氏族共同体が他の氏族・種族に征服された場合、共同体の土地は、私的所有に分割されないまま、征服者である王の国家的所有にされた。
被征服氏族はかれらの土地を占有・利用したまま、共同体の成員でありながら、総体として征服氏族首長の事実上の「奴隷」となった。
古代東方諸国は、このような不変の原始共同体を基盤とし、それを外部から支配する国家であった
- 総体的奴隷制国家(=東洋的専制的奴隷制国家)として有名なのが、ナイル川流域のエジプト、チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア、インダス川流域のインド、黄河流域の中国。宮殿を中心に、一人の強大な権力を持つ王と一握りの支配層がいて、大河にそってひろがる広大な土地を奴隷が耕作するのが生活の基本。
- 大河と広大な国土と膨大な労働力を統治する、強大な中央集権的権力を必要とした。
古代エジプトの医療
- 紀元前約3500年頃にエジプトは単一の国家となった。
- 国家の統一と支配にとって宗教は不可欠。
僧侶は支配階級の構成員。僧侶は最も教養ある階級。彼らは一種の医療行為を行なうのが常であった。
- 魔術的医療、宗教的医療、合理的医療は、互に並行し、あちらこちらで重なりあっていた。
異なる医療体系であり、医者(Physician)と僧侶と魔術師(Sorcerer)とは区別された
- 古代の都市においては、魔術的、宗教的医療は貧民の医療。科学的医療は主として収入の多い階層が独占。
古代東方社会においては、宗教や魔術が生活の全側面に支配的影響を。貧者の場合、経済的理由で科学的医療を受けることが少ない
- 科学的医療の担い手の多くは僧侶。事態は一層複雑。正統的医師は宮廷に属した。
医学校も寺院内に建てられた。学生は全て、良家の出身。
- 医師の上層部は王(フアラオ)の侍医に。主な仕事は健康保持と疾病予防。医術の特徴は、王やその家族と同じ環境のもとで起居を共にすることによって可能とされる、長期的観点による個人の総合的把握である。
- エジプトの医療は明らかに差別的で不平等。王侯、貴族、富者における「専門医」 の独占。
奴隷、貧者における、魔術的、民間伝承的医療。こうした構図はその後長期に亘って維持される
地中海世界
メソポタミアの医療
- メソポタミアもエジプトと同じ。
- メソポタミアでは、エジプトのように魔術的、宗教的医療と、経験的、合理的医療とは分離していなかった
- ハムラビ法典にみられるような法律と宗教の分離という現象は、医療においてはみられず、種々の治療者たちは僧侶身分。
- 医療を行なう僧侶も、王や高官の宮廷についていて、アッシリア王の宮廷へあてた手紙によると、その数はかなり少なくて、病人のところへ宮廷から医者をまわしてほしいという内容の記述がしばしばみられる。
- ギリシャの歴史家、旅行家のへロドトスは著書「歴史」で、「この国には医者というものがいないので、病人は家に置かず広場へ連れてゆく」そこで、「通行人は自分の経験にもとづいた治療法を授ける。
そしてだれでも病人にどういう病気か訊ねずに、知らぬ顔をして通り過ぎてはならぬことになっている」。
- メソポタミアに医者がいないというのは、へロドトスがエジプトで出会ったような「専門医」がいないという意味であろうか。ヘロドトスが通訳にだまされたのであろうという説もある。
- 病人がしばしば、家の前や市の広場に坐って、近所の人や通行人に、病気について意見を求めたことは疑いなかろう。
シゲリストは「このようなことは、東方の至るところで、貧しい人々の間で、まだ行なわれている」と述べているが、このへロドトスのエピソードは、メソポタミアでの医療における差別の存在を示しているものとして意味のあるものと思われる。
ギリシャの自然・社会条件
- 古代奴隷制社会のもう一つの典型は、ギリシャ・ローマに代表される古典古代奴隷制社会である。西洋から見るとギリシャ・ローマが古典的存在なので、欧米で発展した歴史学では、このように呼ばれている。
- ギリシャの自然環境は、ペロポネソス半島が地中海に突きだし、横浜のように海岸線に沿って平地があり、すぐ後ろに山が迫り、また断崖によって隔絶される地形(アテネ=佐賀県程度の面積)と、山中の盆地(スパルタ=広島県程度)とが散在していて、大河はなく、大平原もない。気候も雨が少なく、大規模農業はなかった。
- ギリシャには多数の人口を抱えた、広大な土地を持つ大国家が成立する自然条件は存在せず、東洋の奴隷制とは異なって、市民という階級が支配的地位にあった。
- 紀元前8世紀頃以降のギリシャ社会では、市民は土地を所有する地主であり、奴隷に土地を耕作させ、自らは政治や軍事、司法などの国家運営に参画する成人男子のことを意味する。
- 典型的市民のみではなく、時代が進行するにつれて、裕福な層と土地を手放し自ら職業につく貧しい層への市民の分解も進んでいった。市民権は持たないが自由民である在留外人(メトイコイ)も少なくない。
- 最盛期のアテネで、市民3-4万(家族を含めて12万)、奴隷10万、メトイコイ1万(家族を含めて4万)程度と見なされている。市民は全人口の4分の1程度である。
ギリシャの医学の背景ー科学的思考の形成
- ユークリッドの幾何学、ヒポクラテスの医学、プラトンやアリストテレスの哲学など。ギリシャ人がなぜ科学の創始者になったのか、その自然的条件と社会的条件は。
- 東洋の総体的奴隷制のもとでは、変化に乏しい単調な暮らし。変化のないところに進歩はなく、そこでは停滞が支配的
- ギリシャ人は、狭い土地で暮らさざるをえなかったが、地中海と多くの島を利用して、他の国々との交易をした。
また、ギリシャ自体が多くの国家に分かれており、島国もあれば、山国もあり、海岸の国もあり、変化に富んでいた。
土地がやせていて、農産物の種類は少なく、結局は他の土地、他の国の生産物との交換を通じて生活せざるをえなかった。
- 言葉の違う人間と交流する、自然環境の違う国を訪れる、自分たちが作った物とは違う物を手に入れる。
このような経験を通じて、ギリシャ人は物事の比較ができたのであり、比較を通じて共通した物を取り出すのが科学の始まりであれば、まさにギリシャ人には科学的思考を訓練するための自然条件が与えられていたと言えよう。
- ギリシャには市民が存在していた。市民は自由に交易ができた。
市民は万能の素人を理想として、自然学、数学、音楽、スポーツを身につけ、思索する暇があった。
まとめれば以下のようになる。
- ①
- 自然条件→農作物の大量生産ではなく、多様作物の少量生産→ギリシャ内部(都市国家間交易)
- ②
- さらに地中海を経路とする国際交易
- ③
- 異なる物・事柄との出会いと普遍化→科学の出発
- ④
- ギリシャにおける市民の存在(再論)
ギリシャ人の健康観――ギリシャ神話から
- 医療はかつて宗教と結びつき医学・医療を司る神がいた。
- エジプトでは、イムホテップが医神、ギリシャ神話では健康に関わる神たちの序列が形成され、最高位が知の神であり太陽の神でもあるアポロであった。
- ギリシャ市民の理想を思うとき、知と太陽を象徴し、素晴らしい肉体を持つ青年神アポロが、健康の神として最も高い位置にあるのは、まことにギリシャ市民にふさわしい健康のイメージと言うべき。
- アポロの子のアスクレピオスが医学の神、アスクレピオスの息子は、いずれも優れた医師とされるマカオンとポダリリウス。娘のうちヒュギエイアは衛生・看護を司り、末娘のパナケイアが薬物を司った。
- 保健・医療に関わる神々を、健康、医療、衛生・看護、薬物という序列に置いた。アポロに象徴されるように、古代ギリシャ市民にとって健康とは、人体を構成する諸要素と精神が調和のとれた状態にあることを意味し、この調和を乱さないような生活様式の維持こそが大切なことであった。
- こうした生活を送ることが可能だったのは、裕福な市民すなわち貴族であり、人口の4割を占める奴隷は「口をきく牛馬」として厳しい労働に心身をすり減らし、調和のとれた暮らしどころの話ではなかったのである。
- 医学史家ローゼンはこのようなギリシャ人の健康観を「奴隷労働に支えられた上流階級の養生法」であり、「それは貴族の衛生学」であると特徴づけた。
ヒポクラテス派
- ヒポクラテスはコス島出身。イオニアの唯物論思想。
- 基本は市民同士の関係の上に成り立った医学・診療
- 第1の特徴:科学的。事実から出発して合理的に論理を展開するという科学的精神。
方法は、観察と対話→当時にあって唯一の科学的方法→神聖病、糖尿病、ヒポクラテス様顔貌など
- 第2の特徴:実践重視。具体的な問題を具体的に解決する専門家としての技術者
- 第3の特徴:患者第一。この点が、臨床医の模範と目される所以。
- 客観的な認識と有効な技法や技能を、患者のために用いるという相当に強固な意識、すなわち職業的倫理を持っていた。
「人間に対する愛があれば、技術[テクネ]に対する愛もある」
- 奴隷制社会のなかで活動したことを念頭におけば、彼らの職業倫理は、基本的人権の立場からの医師の職業倫理確立に向かう、確かな出発点として不滅の光を放つものである。
ヒポクラテス派と医療倫理→テキストで
- 健康と医療の思想ノート(1) 日野秀逸 国立公衆衛生院衛生行政学部衛生行政室長
- 『医療生協運動』1987年4月 日本生活協同組合連合会医療部会
差別的医療観の形成
- プラトンの国家観→優秀者支配国家
- プラトンの医療観
- まず遺伝子の管理から
- 裕福な市民に対する医療
- 貧しい自由民に対する医療
- 奴隷に対する医療
理性的健康観の登場ーエピクロス
- エピクロス哲学(快楽主義哲学)→快とは「心身の調和を得ること」「心に憂いのない状態」
- エピクロスの健康観
- 状況を理性によって認識し受容すること
- 今日のホスピスケアにつながる
- 諦観的・非実践的立場→当時の医学水準に規定された考え方
- 盲目的に病気を恐れ、絶望したり自棄になるのは、動物的対応。人間は理性的に対応できる→動物と人間の区別を強調。