東北地方医療・福祉総合研究所

【公開講座報告】

住友商事に熟慮を求める
仙台高松発電所計画からの撤退を

2019/8/
東北地方医療・福祉総合研究所理事
水戸部秀利

8月2日と3日に、多賀城市と仙台市で、住友商事による仙台高松発電所建設計画の住民説明会が聞催された。
当初、四国電カと住友商事の共同事業として計画されていたが、昨年4月四国電力が撒退を表明、その後の住友商事の動向が注目されていた。
住友商事は、石炭とバイオマス混焼方式を、同規模のバイオマス専焼方式として事業計画を組みなおして、仙台市に環境影響評価準備書を提出、7月17日から縦覧に呈している。
仕友商事の事業計画は、11.2万KWの木質バイオマス専焼で「カーボンニュートラル」で「クリーンエネルギー」を謳い文句にしている。
しかし、年間50万tの燃料用ペレットのほとんどは北米などからの海外調達で、その輸送だけで年間約20万tのCO2を過剰排出する。
しかも、大量に燃やして発電しても、電カに転換できるのは最大でも4割程度で、6割は熱として大気や海に放出される。
脱硝・脱硫・除塵装置をつけて、煤煙を環境基準値以下にするが、大気質はNO2やPM2.5』などに汚染され、その悪化は免れない。
木質バイオマスは、地域の林業と共生して間伐廃材などを熱電共用方式の小規槙分散型で有効利用されるのが常識である。
県内では気仙沼のバイオマスパワープラントの実践例があり、昨年策定された県の再エネ.省エネ計画書にも、バイオマスの「地産地消」の推奨が明記されている。
これらの観点からも、海外バイオマスの大量輸入方式の発電は邪道と言っても過言ではない。
このような邪道を事業として成り立たせる制度的背景には、「バイオマス=カーボンニュートラル」という短絡的図式の固定価格買取制度があり、それを輸入バイオマスまで拡大適用したことに問題がある。
住友商事はこの制度を利用し安価な海外バイオマスを輸入し、高い固定価格で売電する。
その差益が企業の利益となるが元をたどればこの利益の源泉は私たちの電気料金に上乗せされた賦課金である。
環境団体から批判されている角田市で建設中のHISによるパーム油発電も同様の仕組みである。
私たちは電力会社に払う賦課金という形で、温室効果ガス増加や大気質悪化に加担してしまうことになる。
2年前、地元住民の反対を押し切って、仙台パワーステーションが仙台港で石炭火力発電を強行した。
毎日その排煙を目にしている仙塩地域の住民にとって、今回の住友商事の事業計画は、燃料が石炭からパイオマスに変わっても、歓迎どころか、失望や怒りを呼んでいる。
私も地元住民として説明会に参加したが、フロアからの質問・意見はすべて、疑問と不安そして撒退を求めるものであった。
説明会の会場で、「景観評価では、本発電所はほとんど影響がない」という環境評価に対し、「私たちにとって景観は構造物だけではありません。
日々立ち昇る煙も大事な要素です。
すでに、仙台パワーステーションの煙があり、さらに2本目、3本目の煙を、孫子に残すのは耐えられません」という地元の主婦の訴えに会場はシーンとなった。
本計画は、仕友グループの「地球環境の保全に十分配慮する」「良き企業市民として社会に貢献する」という行動指針からも逸脱している。
住友商事は、このような企業利益優先と捉えられかねないバイオマス発電事業から撤退し、太陽光、風力、水カ、地熱など本来の再エネ事業に邁進」すべきである。

大川小訴訟判決について思うこと ―医療事故の視点から―

2017/3/19
東北地方医療・福祉総合研究所理事
水戸部秀利

本稿は、第2回JSA宮城支部世の中研究会 市民公開講座で報告した。

「事故を組織事故として捉え、正直と許しの文化から改善策を見つけ出す」
「”TO ERR IS HUMAN” 誤りは人の常という共通認識に立つこと」
「安全の優先 と リスクの共有 (医療行為に絶対安全はない)」
「裁判は争いであり、争いからは真実と解決策は見いだせない」

参照:都立広尾病院 注射液取り違え事故

1999年2月11日、東京都立広尾病院にて手術を終了した58歳女性に対し抗生剤点滴終了後に、消毒液を血液凝固阻止剤と取り違えて点滴されたために死亡する事件が発生した。
 2000年6月に病院関係者が起訴された。
点滴ミスをした看護師2人が業務上過失致死罪で禁錮1年執行猶予3年と禁錮8ヶ月執行猶予3年の有罪判決が確定し、それぞれ看護業務停止2ヶ月と1ヶ月となった。
主治医は異常死体届出義務違反の略式起訴で罰金2万円となり、医業停止3ヶ月となった。
 2000年9月、遺族は病院の隠蔽体質が真相究明の妨害になっていると考え、隠蔽をした個人及びシステムを問う為として、東京都と院長などの病院関係者に総額1億4500万の損害賠償を求めて民事訴訟を提訴。
2004年1月、東京地裁は東京都と元院長と主治医に対して、遺族に6030万円の支払いを命じる判決を言い渡して確定した。
⇒ 資料:月刊ナーシング2009年11月号 隈本邦彦取材記事

東日本大震災から6年―私たちは何を学ぶべきか―
『3.11 の検証―地域公衆衛生の視点から、平成大合併、保健所法改定を問う』

2017.2.19
東北地方医療・福祉総研理事長、医師
村口 至

本稿は、第1回JSA宮城県支部市民公開講座にて報告した。

1.〈問題意識〉

「1000年に1度の大震災だから被害が大きくても、復興が遅れても仕方ないのか」の疑問を持ち、震災前の行政施策にその要因を探る。
特に、平成の大合併と公務員削減、保健所法改定(‘94年)が及ぼした地域公衆衛生への影響。

〈方法〉

被災地保健師アンケート103人、被災地保健師訪問ヒアリング(16名)、被災地区医師会事務長訪問ヒアリング(7名)、岩手県、気仙沼市、石巻市医師会幹部、元南三陸町、大槌町開業医(2)、岩手県立病院院長(山田、大槌)、保健所保健師(東部、大崎、大船渡)ヒアリング

2.〈結論〉

1)平成の大合併が復旧の困難性を増幅させた。
2)保健所法改定(’94)による影響
3)復興過程での地元の困難さ、ゆがみを生んだ。

3.〈岩手県と対比して―冷たい宮城県政の結果〉

1)岩手県立病院間の”肋骨支援”
2)篤い県の開業医への助成

「創造的復興」再考

2017/2/19
東北地方医療・福祉総合研究所理事
若林クリニック所長 水戸部秀利

第1回 JSA 宮城支部世の中研究会市民公開講座で報告した原稿である。

大震災から6年、国及び宮城県の進めてきた「創造的復興」について、到達を振り返りながら、批判的意見を述べます。

スライド①は、昨年春、雄勝町を訪れたときの写真です。
かつて街並みのあった場所は仮設役場と商店だけで住まいはなく、切り崩された褐色の山々に囲まれながら、平地のかさ上げ工事が進行していました。
その奥に、雄勝町の再生を願う人々が作った「ローズファクトリーガーデン」があり、春の花が咲き誇っていましたが、このガーデンも、間もなく土砂で埋め立てられ移転する計画です。
6年前、津波で命が奪われ、今度は土砂で命が埋められていく印象でした。

スライド②は、荒涼とした仙台市荒浜の写真です。江戸時代から数百年の里海的文化を作り上げてきた3000人近い町でした。
仙台市の唯一の海水浴場でもありました。
仙台市は震災後間もなく、住民合意もないまま危険区域に指定し、居住は不可になりました。
そんな中、荒浜の再生を願う会の住民が、にぎわいを取り戻そうと集いの場所やピザ窯、昔のバス停などを再生させています。
黄色いハンカチはその象徴です。
仙台市はこの土地を買い上げ、利活用と称して企業を公募する計画です。
結果的に、被災を理由に、人々の営みを追い払い、更地を企業に提供することになります。

スライド③は、行政側の一方的な危険区域の線引きの中で、置き去りにされた住民の実態を河北新報が取り上げた今年の1月11日付の記事の表題です。
改めて「憲法22条:何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」という原則に対し、1000年に一度の自然災害を理由に「公共の福祉に反する」として行政が居住権を剥奪してよいのか問う必要があります。

以上、いくつかの象徴的な事例を示しましたが、時間的にも空間的にも限られた被災者の命の営みが片隅に追いやられ、被災地が、巨費を投じた巨大な土木工事の餌食になり、自然環境破壊にすらつながる事態に追い込まれていると思います。
これを「創造的復興」というのであれば、立ち戻って見直す必要があると思います。

スライド④、以下私の意見の要旨です。
1)被災からの復旧・復興にあたって、被災者の生活再建(復旧)を優先すべきである。
2)その過程において、被災者の人権の尊重と民主的手続きが不可欠である。
3)「創造的」復興は、地誌的弱点を解決する場合にのみ適応されるべきである。⇒築いてきた地域文化(歴史)はできるだけ復旧をめざす。
⇒自然の猛威には、警報・避難を主軸に、折り合いをつける。
⇒最大の弱点・原発(エネルギー政策)にこそ創造的復興が必要である。

*被災は自己責任ではない。社会(国)が被災者の再建・再生に責任を負う。
*道路や橋や学校だけでなく、コミュニティも大切な「公共」の一つである。 「個人資産に税金は使えない」の克服が不可欠。
例)阪神淡路(自己責任)→東日本大震災(300 万円補助)→熊本地震(全額)記事参照 なお、添付資料として、この間、震災復興に関して意見を個人的に表明してきた文章を添付しました。
① 宮城県震災復興計画についてのパブリックコメント(2011/7/21)
② 仙台市医師会報随想「潮風の黄色いハンカチ」(2014/8/6)
③ 河北新報持論時論投稿「命へのまなざしが不足」(2016/4/14)

潮風の黄色いハンカチ

東北地方医療・福祉総合研究所理事
若林クリニック所長 水戸部秀利
仙台市医師会会報 2014.9 No 601 収載

 今年4月で40年の勤めを終え65歳定年を迎えた。
あれもしたいこれもしたいと夢に見てきた定年だが、やはり自由の身にはなれなかった。医師不足と法人の事情で、若林区下飯田の若林クリニックの嘱託所長 になった。
3.11では若林クリニックの手前まで津波が押し寄せた。
農業中心の診療圏だが、その半分近くが浸水し、瓦礫とヘドロに覆われた。当時、長町病院から全国の支援の方々と一緒に、毎週この地域を回ったのが記憶に新しい。
ヘドロを寄せて畑を整地し、塩水に強いからとトマトの苗を植えていた農婦のたくましさに、支援する側が元気をもらったのを覚えている。
あれから約3年半、東部道路より内側は津波の爪痕は見えにくくなった。
患者さんも、何とか稲作を再開したと喜びの声も聞かれる一方、資金的にも体力的にも再開の目途がたたないと肩を落としている方もいて複雑である。
津波で、人生が大きく変わった方が多く、初対面の患者さんには、その話から聞くように心がけている。
東部道路の海岸寄りの状況は、さらに深 刻さが増す。
塩釜亘理線の内側は、市の災害危険区域から外れ、一応居住は可能である。津波被害を契機に内陸側に移転する人も多い中、クリニックから2Kmほど先の三本塚では、新築やリフォームの家屋も少しずつ建ち始め、農地も整備しコミュニティ の再構築に向かっている。
5月の連休に、 新築家屋の内覧会にお邪魔したが、みなさん喜びに溢れていた。
帰りに畑の大きなレタスまで頂いてきた。
三本塚からさらに海岸方向に3Km、県道塩釜亘理線から海寄りの荒浜、井戸浜地区は災害危険区域に指定され居住は禁止されている。
7月21日第2回「荒浜アカデミア」がその荒浜で開催された。診療圏の近くで、震災後、塩釜亘理線を通るたびに黄色いハ ンカチの旗が気になっていた事もあり、参加してみた。
「荒浜アカデミア」は、リスクも覚悟し、生業の再生を目指して居住継続を求める住民と大学の建築専門家が協力して作った住・学共同プロジェクトである。
荒浜は江戸時代から数百年の歴史があり、深沼海水浴場や貞山運河など「里海」的文化を築いてきた町で、震災前まで3000人近い集落であった。
歴代漁師のSさん家族は、住宅建築不可のため、作業場名目でプレハブの苫屋を立てて生活し、自宅前に黄色いハンカチの幟旗を立てている。
この漁師さんの意気込みは5月17日にETV特集「それぞれのイナサ」で放映されていた。 浜に住んでいた仙台市職員の話では、震災から7日目に、早々と仙台市は荒浜を再建しない方針を立てていたという。
名取市の閖上再建とは逆である。
背景には東西線開通を見込んで荒井地区への集約化という都市計画があったとのことである。住民への事前の相談もなく、棄民(町)政策を決めてしまうことに民主主義の根幹に関わる問題を感じた。
憲法22条1項に「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」と記されている。今回の津波は数百年の歴史のある町を襲った1000年に1度と言われる希な災害である。
そのリスクを覚悟しながら、現地での生業と生活の再建を求める人々がなぜ「公共の福祉」に反するのか、私には理解できない。
住民は荒浜の災害危険区域の見直しを求めて市に交渉していくという。
この間、被災地の居住再建を巡り、行政の一方的な線引きと被災者の多様な人生観・価値観との間で齟齬をきたしていることが多い。
本来なら、このような生活や居住に関わる多様な要望を政治が叶えることが憲法の趣旨に法っているのではないだろうか。
潮風にたなびく黄色いハンカチだが、3年の歳月で色も褪せてきている。
震災復興における日本の民主主義のリトマス紙のように思える。

診療圏:六郷学区+沖野学区+沿岸部
人口28000人 世帯12000世帯
震災後減少特に沿岸部 仙台市の中でも農業比重台
農家:仙台市の2割(1000戸)
農地:仙台市の3割
高齢化率(70歳以上)19.5%
若林区平均(11.4%)

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