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【講演会・フォーラム】

【東北メディカル・メガバンク事業の問題点】

本稿は、2013年7月の民医連医療に掲載した論文に、その後の経過をふまえて整理・加筆したものです 東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター世話人
公益財団法人 若林クリニック所長
水戸部秀利

はじめに
突然挿入された「東北メディカル・メガバンク」

東北メディカル・メガバンク事業とは、『宮城・岩手の被災地住民を対象に、15万人規模のゲノムコホートを実施し国内有数のバイオバンクを構築し全遺伝子情報(ゲノム)や診療情報をデータベース化し、 創薬や予防医学、個別化医療に役立てる計画で、総事業費約500億円を投入し、東北大と岩手医大が受け皿となり、東日本大震災後の医療復興にも役立てる。』という、文科省・復興庁が推進する国家プロジェクトです。
この事業についての詳細は、東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)のホームページ、実施計画書は「東北メディカル・メガバンク計画 全体計画」として公開されていますから、詳細はそれらを参照してください。
2011年7月に県民にパブリックコメントを求めた復興計画案の医療福祉分野では、医療福祉情報ネットワーク・ICTの記述だけで東北メディカル・メガバンクについては一切触れられていません。
ところが翌8月に発表された最終決定に突然、1行で挿入されていました。
しかも、各論の(2)保健・医療・福祉 の部分では、メディカル・メガバンクの説明はなく、巻末の用語解説で、「遺伝子研究等」と記載されていました。

宮城県震災復興計画(抜粋)

復興のポイント6. 地域を包括する保健・医療・福祉の再構築

○ICT(情報通信技術)を活用した医療連携の構築

用語解説

■メディカル・メガバンク構想
東北大学を中心として地域の医療機関をネットワークでつなぐことで医療情報を共有し,地域医療の振興を図るとともに,遺伝子研究等の最先端医療を通じて人材育成に取り組む構想。

「被災地で遺伝子研究、しかも唐突に、忍び込ませるように」これが疑心暗鬼の始まりでした。
以来、県民センターの医療関係世話人として批判的な立場で関わってきました。
以下、この事業のいくつかの問題点を述べます。

(1)その背景 国家プロジェクトとしてのヒトゲノムコホート・バイオバンク構築

このような、大規模なヒト遺伝子研究であるゲノムコホート・バイオバンク構想は、すでに震災前から、政財産官学界内部で検討されていました。日本のこの分野での国際的な出遅れを指摘し、必要性が叫ばれ早急な具体化を計画している状態でした。 公表されている資料でも、2010年11月30日第1回医療イノベーション会議(座長 中村祐輔氏)で、バイオバンクの基盤整備が提言されます。
2011年2月18日に中村氏が参加して第1回個別化医療ワーキンググループ、続いて震災直後の3月30日開催された第2回目のワーキンググループで、バイオバンクとゲノムコホートのロードマップが確認されています。
このワーキンググループのシンクタンクは三菱総研であり、その理事長の小宮山氏が宮城県復興会議の議長を務めることになりました。
2011年6月3日、第2回宮城県復興会議において、ゲノムコホート計画を小宮山議長自ら提言しています。
それに触れた部分を議事録から抜粋します。

・・・・・医療のシステム。
どうせこの後、どうせと言ってしまうとあれなんだけれども、日本でも世界でもほとんど医師不足で苦労しているわけです。これはもう必ず苦労するわけで、幾ら赤ひげみたいな人を求めたって、それは一部は大丈夫だけれどもマジョリティーとしては無理です。
やはりお医者さんが来たくなるような、ここらあたりは東北大学の、これは井上先生が話す方がいいのかもしれないんだけれども、医工連携とか、あるいは東北は非常に3世代が一緒に住んでいたり4世代が住んでいたりで、そうするとゲノムの調査なんか非常にしやすくて、垂直水平のコホート調査というんですが、そんなものができると。
逆に言うとそんなものができればお医者さんが行くそうです。
若いお医者さんが、研究ができるから、というようなこと。
それから、製薬産業だって、中国に行って薬の治験をやれば1万人やらなくてはいけない治験が、非常に横縦の関係がはっきりしているこのような地域では可能で、実はもう世界にないです。こういうところだったら1,000人で非常に精度のある薬の評価ができるなんていうと、製薬産業だって来てくれる。・・・・・


この発言には、医療本来のヒューマニズムに対する諦めや軽視、東北をゲノム調査や薬の治験に適した遅れた閉鎖的な地域であるとする蔑視すら垣間見られます。村井県知事は、このような見下した発言に抗することなく被災地での遺伝子研究を受け入れ、7日後の6月11日の第9回東日本復興構想会議で、知事自らが東北メディカル・メガバンク構想を提案することになりました。
その5日後の6月16日の第2回医療イノベーション会議で、山本雅之医学部長がこの事業を具体的に提案することになります。

そして、4ヶ月後の10月には復興事業として493億の予算がついて、国家プロジェクトとして走り出すことになりました。
霞が関の官僚、中村祐輔氏、小宮山宏氏、井上東北大総長、山本医学部長、村井知事と宮城県庁内官僚などの内部の蠢きの詳細を我々は知ることはできませんが、震災前から国策としてのバイオバンク・ゲノムコホート計画があり,震災復興を口実にして被災地を対象とすることで彼らのベクトルが一致し、一気に具体化していったことは明らかです。
「被災地復興のため」という枕詞を付けた「創薬や個別化医療など医療イノベーションのための大規模バイオバンク構築」、そのパイロット地域として被災地が選ばれ、震災便乗型国家プロジェクトの始まりでした。
被災地住民対象の遺伝子研究であるにも関わらず、決定の過程で被災地住民はおろか自治体および医療機関に相談どころか知らされることすらありませんでした。
国内の小規模ながらすでに実施されてきた久山町(九大)、長浜市(京大)の地域ゲノムコホートとは全く異質な進行となりました。
このような政財産官学主導のバイオバンク計画強行と震災復興を口実にした巨額の復興資金投下があまりに露骨であったため、世間からは「火事場泥棒」(医療ガバナンス学会 小松秀樹)、「焼け太り」(宮城保険医協会新聞 日野秀逸)、「我田引水」(JT生命誌研究館館長ブログ 中村桂子)などと、不名誉な後ろ指をさされることになってしまいました。
震災復興を経験した神戸市医師会や兵庫県医師会からも倫理的な問題を指摘する声明が上がりました。

なお、このような国家的な大規模ゲノムコホートとバイオバンク構築の狙いについては、日本学術会議第二部ゲノムコホート研究体制検討分科会答申(2012年8月8日付)にも明確に記載されています。
この分科会には、ToMMoの山本雅之氏が幹事として名を連ねています。
その中では、日本に100万人規模の大規模バイオバンクを構築し、ゲノムコホート研究をさらに先進的なものとするため、「ヒト生命情報統合研究」を創出することを打ち上げ、それを可能にするために、

標準化対応の医療情報システムの開発と導入(医療情報のICT化)
新たな「国民保健番号(仮称)」の制度と法令の整備(マイナンバー制度)
同意研究参加者の医療情報追跡基盤の構築(ゲノム提供の包括同意)
が、必要であると強調しています。
実際、宮城県内では復興事業としてICTには150億の予算がついて、メガバンク事業と車の両輪として県内でのネットワーク構築(MMWIN)が進行しています。
マイナンバー法案は、2013年の国会で可決成立しました。
当面は税と社会保障に関する国民管理の電子化となっていますが、いずれ医療情報とリンクする計画です。
ヒトゲノム・遺伝子情報に関する倫理指針も2013年4月から改定されゲノム提供の包括同意を可能にするような文言が加わりました。
日本学術会議答申に沿ったミニチュア版が被災地で試行されています。

(2)押し付けの創造的復興か地域住民主体の創造的復興か

ToMMoの山本機構長は、この事業を計画した理由として、 「この地方の本格的な復興のためには、地震と津波によって失った機能をそのまま元に戻すだけでは復旧にすら至りません。
東北地方の医療の本格的な復興のためには、これらの措置に加えて、長期にわたり地域全体の住民の健康被害に対応しながら、復興の核になるようなプロジェクトが必要と考えました。・・・
東北の地に、未来型医療の拠点を形成するプランを掲げ、復興のために最も必要な資源である人材を惹きつける起爆剤とすることは、極めて重要な意義を持つと考えました。」 と述べ、創造的復興の重要性を強調しています。
「失った機能をそのまま元に戻すだけでは復旧にすら至りません..........」、この表現は本当に妥当でしょうか?
このような創造的復興論は、阪神淡路大震災の復興の時にも強調され、「創造的」という言葉の魔力を利用し、住民の生活や生業の復旧よりも大型プロジェクトを優先あるいは強行する手段として使われました。
その典型例が長田町再開発ビルであり、神戸空港やポートアイランドの神戸医療産業都市などが例としてあげられます。
結局、時間的にも財源的にも住民の生活や生業の復旧が後景に追いやられる結果になりました。
私は、震災の復旧・復興について、山本機構長が強調するように、「失った機能をそのまま元に戻すだけ」で可とするものではありません。
しかしなによりも地域住民の生活や生業の復旧が優先されるものであり、その再建過程において被災の経験から学んだ地域の弱点や諸課題を克服するような意味での「創造的」再建を地域住民が主体になって検討されるべきであると考えています。
決して上から押し付けるものであってはなりません。
今回の震災でたくさんの命を守れなかった地域社会の弱点が露呈しました。
その反省から、警報システムの強化、避難路や避難場所の確保、災害弱者の施設(学校、病院・介護施設など)の耐震化と高台化、女川原発廃炉と再生可能エネルギー構築などは、被災経験を経て多くの住民が求める「創造的」復興だと思います。
2011年7月に、宮城県復興計画案が発表され、パブリックコメントが募集され、上記に加え、医療面については、個人的に以下の主旨のコメントを送りました。
『もともと、被災地特に県北部は、医師不足が深刻で、自治体病院の縮小や無床化、集約化などが検討されていた地域です。
復興検討会議では、石巻日赤病院や気仙沼市立病院の拠点化を進める一方、雄勝病院無床化、女川町立病院有床診化、南三陸診療所と志津川病院統合、本吉病院診療所化など、被災前には地元住民との関係でも実行の難しかった縮小再編集約化を強行する計画になっています。
このような、大学や医師会など医療供給側と行政側の都合から出された集約化構想は、立ち上がろうとする被災地住民を励ましになるどころか、打ちのめすことになりかねません。
「医師がいないから・・・」は被災地住民にとっては逆らえない鉄槌のような論理です。
日本―東北地方―宮城県北部の医師不足は、よく言われる臨床研修制度や偏在化といった二次的因子はあっても、長年にわたる政策的医師抑制による絶対的不足に根底的要因があります。
従って医師不足はすぐ改善することはできませんが、以下のように、長期・短期的な政策の推進を県に求めます。

長期的には、東北大学の医学部の定員増、 提案されている新設医科大構想を県として も支援すること。
当面は大学や被災地以外(特に仙台圏) の医療機関が連携し、被災地の医療を継続 するための医師配置を含めた継続的支援を 実現するため、県主導で協議機関を設ける こと。
地域医療は公的医療機関のみでなく、民 間の医療機関も大きな役割を担っています。
これらの民間医療機関の再建・再生のため の財政的支援を県としても行うこと。』
残念ながら、このパブコメは宮城県復興計画には全く反映されませんでした。
それどころか、被災地の医療機関の縮小再編がそのまま進められ、2013年には地域の反対を押し切って二次医療圏を再編し、被災した気仙沼・登米・石巻の三医療圏の合併さえも強行しました。
地域要求とは逆行する復興政策となりました。
一方では、2013年末から、医学部新設が再浮上し、2014年に入り急速に具体化してきました。
さまざまな政治的思惑が交錯していますが、根底に医師不足解消を求める被災地住民・自治体の強い要求があったからです。
今後、被災地の医療復興に本当に寄与する医学部を、どのように作り上げるかは、住民要求に根ざした「創造的」復興の課題になります。
これに対し、被災地住民の遺伝子研究である東北メディカル・メガバンク事業は、住民要求から全くかけ離れた押し付けの「創造的」復興事業です。
同時に行われている循環型医師派遣は当面の医師不足の解決の一助になりますが、長期的に被災地の医師不足や医師の定着を解決する展望を生み出すものとはなりません。

(3)研究者の倫理的問題と「ヘルシンキ宣言」

ヒトゲノム研究はさまざまな臨床研究のなかでも高い倫理性とセキュリティが求められる分野です。
「ヒトゲノム・遺伝子情報に関する倫理指針」の前文には、「ヒトゲノム・遺伝子解析研究は、個人を対象とした研究に大きく依存し、また、研究の過程で得られた遺伝情報は、提供者及びその血縁者の遺伝的素因を明らかにし、その取扱いによっては、様々な倫理的、法的又は社会的問題を招く可能性があるという側面がある。
そこで、人間の尊厳及び人権を尊重し、社会の理解と協力を得て、適正に研究を実施することが不可欠である」と記されてます。
山本機構長提出の計画書には被災地を図示し(下図)、「人の出入りが少なく3世代同居が多く」ゲノムコホートに適しているという表記があります。同様の表現は、復興会議での小宮山議長の発言(前述)にもみられます。
要するに「血が濃くて遺伝的ノイズが少ない」という、ゲノム学者にとって調査に都合のよい地域であるという見方です。 被災された方々は、居住地やコミュニティも失い、家族も分断され仮設や他地区での生活を余儀なくされ、未来も定まらない中、生業とコミュニティの復旧に必死に取り組んでいる状態です。
とても「人の出入りが少なく3世代同居が多く」などと言える地域状況ではありません。
このような非常事態の方々を、遺伝子検査という最も繊細で複雑な研究の対象と考えること自体、私には非常識に思えました。
八重樫婦人科教授(後の副機構長)がこの事業を2011年12月の日経メディカル誌6 上で、さらに、里見病院長(後の総長)は2012年1月31日の学内シンポ「新時代のメディカルサイエンス」で、両氏とも「千載一遇の機会」と発言しています。
震災後の惨状を前にして語るべき言葉ではありません。
この事業を計画・推進する研究者集団の倫理性そのものに疑念を持たざるを得なくなりました。
私には、ナオミ・クライン著の「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義」が重なって見えました。
当時、学内にも被災地対象のゲノム研究についての慎重論が一部にあったと聞いていますが、「創造的復興」を合言葉に被災地支援・復興を前面に押し出すことで強行されていったようです。
背景には、2004年に国立大学の法人化が強行され、各大学の運営交付金は毎年減額される一方、科学研究費には競争原理が持ち込まれ、資金面から大学の研究の方向性が国家や企業の意向に迎合しやすい環境に置かれていることがあると思います。
報道では、今回の震災での東北大学自身の研究機器・器材の損害は700億を超えるとされており、研究者にとってはその回復は切実な課題ですが、このような巨大な国家プロジェクトと引き換えにされるべきものではありません。
私の母校ですが、「東北大学よ、どこへ行く、500億の札束に目がくらんだか?」が私の率直な気持ちでした。
さらに、「東北メディカル・メガバンク事業」は、世界医師会が採択した医学研究の倫理規定「ヘルシンキ宣言」に明らかに抵触すると考えます。
日本医師会も参加する世界医師会は,1964年にヘルシンキで開催された第18回総会で,医学研究者が守るべき人体実験に関する倫理規範「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」(「ヘルシンキ宣言」)を採択しました。
その基本原則は、医学研究においては研究被験者個々の権利や利益が優先される、ということで、その後「宣言」は何度か改訂され,今日に至っています。
2000年のエジンバラ改訂では、社会的弱者に言及し、

17条:
不利な立場または脆弱な人々あるいは地域社会を対象とする医学研究は、研究がその集団または地域の健康上の必要性と優先事項に応えるものであり、かつその集団または地域が研究結果から利益を得る可能性がある場合に限り正当化される。
と明記されました。
さらに、2013年10月にブラジルのフォルタレザで開催された総会で採択された改定では、弱者集団及び個人に関して項が起こされ、
19条:
不当な扱いや危害を受けやすい特別な弱者集団及び個人が存在する。このような弱者集団及び個人は全て、特別に配慮された保護を受けなければならない。
20条:
弱者集団を対象とする医学研究は、研究が当該集団の医療ニーズや優先事項に応えるものであり、且つ非弱者集団では実施できない場合にのみ正当化される。さらに、対象となる弱者集団は、この研究の結果として得られる知識,診療,医療介入等の恩恵を受ける立場にあらねばならない。
と記述されました。
この社会的弱者についての詳細な定義はありませんが、歴史的には、ナチスや731部隊など戦時下での暴力的権力による医学研究、最近では先進国が経済格差を利用しての後進国での新薬治験などの医学研究が例としてあげられますが、光石忠敬氏の論説では「弱者とは経済的、医療的に恵まれないもの、同意能力を欠くもの、強制されて同意するもの、研究から個人として益を受けないもの、医学研究が診療と結びついているもの」としています(「臨床評価」2001; 28(3))。
この中には震災・津波被災者という具体的表現はありませんが、震災で生活基盤を失った人々は経済的弱者であり、医療機関を失った地域は医療的に恵まれない地域であると考えるのが妥当です。
また、計画されている「三世代コホート研究」の新生児も同意能力を欠くものと考えられます。
東日本大震災の被災地住民が上に規定された弱者集団および個人に相当することに議論の余地はないと思います。
このような人々や地域を対象に医学研究を計画する場合、
当該集団の医療ニーズや優先事項に応えているか?
当該地域以外では実施できない特別な理由があるのか?
研究の結果から恩恵が得られるのか?
の3点が問われると思います。
①被災地住民から医療復旧、医療支援、医師派遣のニーズはありますが、遺伝子検査の要求は聞こえません。
②日本学術会議答申にもあるように、ゲノムコホート・バイオバンクは国内的普遍的な課題であり、被災地に限定する理由はありません。
③後述するように、ゲノムコホート・バイオバンク研究成果は未知であり、成果が得られたとしても被災地住民だけがその恩恵に与かるものではありません。
以上の理由から被災地での遺伝子研究はヘルシンキ宣言に抵触すると考えます。
県民センターは、ToMMoと協定を終結した宮城県に対して、ヘルシンキ宣言との関わりを問う公開質問状を2013年9月に提出しましたが、県は「被災者は社会的弱者には該当しない」との回答で、その判断を回避しました。
その理由は、「研究への参加について選択の自由が保障されているから」とのことでした。
たしかに、ゲノム提供は占領下銃剣で強制されるような状況ではありませんが、多くの被災者は医療環境や経済状況において苦しい状況にあります。
加えて2013年4月から、医療費・介護費用の窓口負担免除が撤廃され被災地中心に受診抑制がひろがり、さらに厳しさが増しました。
(下図) 2014年4月から部分的に再開されましたが対象者の2割程度です。
その一方、地域住民コホート調査は、一般健診に加えて、頸動脈エコー(550)、骨密度(140)、肺機能(190)、ヘリコバクター・ピロリ(146+70)、BNP(140)、尿中微量アルブミン(144)、さらにアレルギー検査など保険総点数でも8 1000点を超える検査が加わり、さらに1000円商品券も付与されます。
個々には選択の自由ではあっても、構図として不公正です。本来、ゲノムコホート調査への参加は、正しい理解に基づいた「ボランタリー」な協力でなければならず、直接的にも間接的にも強制や誘導があってはなりません。

(4)ICT とメガバンク 復興の財源と 優先順位の問題

宮城県の医療復興計画には、被災地に電子カルテと情報ネットワークを構築するICT計画(150億)が、メガバンク(493億)と車の両輪として盛り込まれました。
ICTの表向きの理由は、医療過疎に対応した遠隔地診療の通信サポートと災害時の医療情報の保全となっています。
しかし、この巨額の資金投下は地域住民や医療機関からの直接の要望に基づくものではなく、背景の日本学術会議答申にもあるように国家的事業としての上からの計画です。
実際、ICT化は人手不足で多忙な医療や介護の現場では、操作習熟や入力作業が新たな負担となるため、導入は容易ではありません。
復旧・復興の混乱した時期に現場に性急に求める課題ではありません。
このMMWIN事業は、石巻・気仙沼圏で2012年から開始されましたが、圏域の基幹病院以外は診療所25(16%)薬局9(10%)ときわめて少ない参加に留まっています。
参加する診療所も入力の時間はないので参照(ビュア装置のみ)に限定しているのが実情です。
2013年から仙台圏でも企画されましたが、10月に説明会を開催し、10月中に参加の手あげをすれば、初期導入費用を無料にするという乱暴な加入誘導が行われ、そのことがかえって不信を招く結果になっています。
何よりも、根幹となる患者や利用者の情報クラウド化(サーバーでの情報共有)という目標に対し、具体的なデータ入力の方法や、どの情報まで共有するのか、患者や利用者の個人情報保護との関わりで個別の説明と同意の手続きが必要になるなど、診療や介護の現場の実務は極めて複雑になります。
これらに対する丁寧な説明やサポートのないまま、補助事業としてスケジュール的に強行しているところに最大の問題があります。
また、IP-VPNというセキュリティの高いネットワーク使用することになっていますが、なりすましや盗み見などのリスクは避けられず、その漏えいの責任が契約上は参加事業所にのみ負わせられることも参加者の不安を大きくしています。
県民から見れば、「通院先や利用事業所とだけ情報契約をしている人」、「MMWIN加入に同意しICカードを持つ人」、さらに「ToMMoに同意協力し、その特定コードを持つ人」の三つに分かれることになります。
このような医療や介護の情報のネットワーク化は、圧倒的多くの事業所や地域住民の参加によって、情報共有の本来的な利点を生かすことができます。本来なら、医療・福祉事業者のみならず、県民一人一人が自分の個人情報がどこでどのように共有され管理されるべきなのか、そのセキュリティはどのように守られるのか、県民的な議論が必要な事柄です。
このままでは、遠隔診断やカンファランスなど部分的なネットワーク利用のみに留まり、ICTのために投下される貴重な復興財源150億が、IT企業に吸い上げられ、県内には使えないシステムが置き去りにされる危険性があります。
一方、被災した医療機関の再建のために、平成24年~27年の地域医療再生基金400億弱の配分と補助率をめぐって当時、被災地では厳しい議論が行われました。
志津川病院や石巻市立病院など公的病院再建の配分は何とか予算化されていきましたが、その他多くの民間医療機関は再建しようにも困難な状況でした。 医療機関の再建については、公的病院や政策医療(救急やへき地など)に協力している医療機関への支援制度はありましたが、一般の民間医療機関への支援はなく自己資金での再建の道しかありませんでした。
2011年7月保険医協会が調整役となり、被災地の民間医療機関11名の代表者が呼びかけ人になって、「民間医療機関にも支援を!」の署名の訴えが県内医療機関に配られ、短期間で400人もの院長・所長の署名が集まりました。
これが県や国を動かし、15億と額はわずかですが、臨時再生基金として使われることになりました。
制度としては大きな前進でしたが、その額は微々たるもので、医療機関の復旧を加速するには不十分でした。実際、震災3年後でも医療機関復旧率は気仙沼圏73%、石巻圏89%にとどまり、頭打ち状態です(下図)。 しかも、復興需要にオリンピック需要が重なり、建築単価が高騰し、復旧計画そのものににも支障をきたしています。
実際、石巻市立病院は当初計画の70億円から140億円に倍増し、市の財政を圧迫し2016年7月の開院も危ぶまれています。
一方では、東北メディカル・メガバンク棟は、大学病院敷地内に7階建ての拠点として早々と完成し、本年7月には開院となりました。
被災地の公的病院再建より2年も先にゲノム研究の拠点が完成していく構図にも、私は不公正を感じてしまいます。

(5)方法論の問題 個別予防・個別医療は未確定

「みんなでつくる未来の医療」、「個別予防・個別医療と創薬」がメガバンクのキャッチフレーズです。
これを押し出しながら、健診による健康管理とセットで被災地住民にゲノム提供の協力を依頼しています。
ToMMoの作成した石巻での健診会場での収録ビデオでは、説明を受けて協力いただいた住民の声として、
「血液検査で癌のリスクなどが分かると聞いたので受けてみようと思った。」
「普通に病院に行っても、調べられないことが分かるので、自分の為によいと思って協力した。」

「自分がどんな病気になりやすいか、分かれば良いと思う。」
「子どもたちや次の子孫のことを考えれば良いことだと思う。」
などが紹介されています。
学校での生物教育やマスコミを通して、多くの市民には「遺伝子=設計図」「遺伝子決定論」的な考え方が染みついています。
最近では、女優のアンジェリーナさんの乳癌遺伝子と乳房切除の報道もありました。
そのような状況下で、大学の専門家が勧めるのだから確かなことに違いないと思うのは当然です。
ゲノム研究者自身も、ゲノムコホートすなわち健常者を含めた大規模集団のゲノム情報と生活環境や病歴を長期間にわたって追跡・比較することによって、人間の病気の起こり方とゲノムの関係が解き明かされ、その暁には、一人ひとりの体質や病気の起こりやすさが、ゲノム検査で前もってわかるようになり、個々人に合った予防や治療ができ、医療費の節減にもつながると考えているようです。
人間は30億対余りのゲノムで構成され、そのほとんどは「ヒト」として共通していますが、各個人でみると0.1%の300~400万箇所で違いがあり、これを一塩基多型(SNP)とい呼んでいます。
これらの違いが私たちの体格や容貌などの個人差を生み出し、その一部が体質や病気に関わっているとゲノム研究者は考えてきました。
2003年から始まった、文科省のオーダーメイド医療実現化プロジェクト(バイオバンクジャパン)では、この膨大なSNPの中から、病気や体質にかかわるSNPを選別するために、ゲノムワイド相関解析(GWAS)手法などで、膨大な人数の有病者のゲノム情報と病気・体質に関わるデータを集計し処理する研究を行ってきました。
確かに、ハンチントン病、フェニルケトン尿症、血友病、筋ジストロフィーなどの単一遺伝子病は関連遺伝子の存在や欠損と強く関わって発病することが分かっています。
また特定の代謝酵素に関わる遺伝子欠損による薬剤副作用や最近話題になった乳癌抑制遺伝子変異など特殊な発癌遺伝子については解明が着実に進んでいます。
これらは、ゲノム科学の進歩・成果として評価すべき事項です。
この手法の延長で、各人のゲノムの配列の違いを比較・検出すれば、個々人の体質や、Common Diseaseも遺伝子解析で予測可能になると、ゲノム学者は考えています。すなわち、将来、ゲノム検査で「糖尿病になる確率○%、肺癌になる確率○%、うつ病になる確率○%、ただし運動不足で△%に、煙草を吸えば△%に、ストレスで△%にその確率が増えます。云々・・・」という「健康(病気)予報」ができるようになるかのように説明されます。
一見理にかなっているようですが、これはゲノム学者の希望的仮説です。
未来型医療で標的になっているような生活習慣病や認知症、一般の癌、精神疾患、アレルギーなどは、社会環境との強い相互作用の中で、多数の遺伝子が複雑に関連しながら、発現するものであり、個々の遺伝子をスペクトルとしてとらえただけでは病気や体質の予測は困難です。実際、Ⅱ型糖尿病関連遺伝子はSNP理論でのゲノムワイド関連相関解析(GWAS)で数十を超える報告がされていますが、どれも決め手に欠くというのが実情で、壁に突き当たっています。
2003年に全ヒトゲノム解読された当時、人類は自らの設計図を手に入れたと思い、早晩、生命現象や病気の解明さらには調整まで可能になると考えました。
そこには、デカルト的ゲノム決定論、ゲノム還元主義的思考が色濃く反映されていました。
人間→臓器→細胞→蛋白質→DNAの分析的流れを逆向きに辿り、DAN→蛋白質→細胞→臓器→人間へと解釈可能と考えました。
しかし、ゲノム研究のその後の発展の中で、ゲノムの化学修飾やゲノム発現のランダム性など、ゲノムは堅固な設計図ではなく、30数億年の生命進化のアーカイブであり、環境変動と柔軟に駆け引きをするしたたかで気まぐれな存在であることが明らかになってきました。
特に、エピジェネティックスの分野では、さまざまな形質発現はゲノム配列の違いよりはどの遺伝子がいつ、どこで、どのくらい働くかによって規定され、それがいくつかの疾患と関わっていることが明らかになってきました。
もう一つは、ゲノム解析にはパラメータに比べてサンプルが圧倒的に少ないという統計学的な困難さ「P>>N問題」もともなっており、従来型の多変量解析では対応できないという課題もあります。
元来、生命現象は内容においても時間軸においても重層的で複雑で根源的に創発性(予測できない自己発展)を内包しているものです。
DNA→蛋白質→細胞→臓器→人間にたどりつく科学的探究は、方法論も含めてこれからの分野です。 戦後、アレルギー、癌や生活習慣病、精神疾患、発達障害などが増加していますが、半世紀でヒトゲノム配列が変化した訳ではありません。
私たちの社会環境の変化が背景にあります。ゲノム要因に比重を置くあまり、病気の社会的要因を軽視(免罪)してしまう危険性すらあります。 仮にゲノムによる個別の「健康予報」ができたとしても、極めて尤度の低い予測にしかならないと考えられます。
逆にパーソナルゲノムとし曖昧な「健康予報」を利用し、予防努力を自己責任化する流れが強まったり、その情報が就職や保険加入などの社会的差別に流用される危険性もあります。
ゲノムコホート研究を否定するものではありませんが、ゲノム学者の作業仮説を医学医療のパラダイムシフトのように宣伝することは、医学医療の総合性を歪め、被検者を欺くことになりかねません。
ゲノム科学は、まだ発展途上の学問です。ゲノム学者は被験者に対し,バラ色の夢をだけを語るのは一種の過大広告です。“やってみなければわからない”とゲノム研究の現状を率直に説明すべきです。
ToMMoのホームページをクリックして辿るとようやくQ&Aが見つかります。
「Q:遺伝子解析によって私が将来かかる病気がすべてわかるということですか?」
「A:いいえ.残念ながら遺伝子解析ですべての病気がわかるわけではありません。また,病気は遺伝情報によってのみ起こる病気はわずかであり,生活習慣などの環境要因と遺伝要因の両方が影響して起こる病気がほとんどです」 とあります。
このような説明こそCMや宣伝パンフの初めに持ってくるべきです。
被験者に研究の現状を正直に説明するのは,科学者の最低限のモラルです。

(6)法的な問題 便宜的なヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針改訂と子どもの遺伝子検査

ヒトゲノム研究に関しては、研究者の暴走を抑えるための、いくつかのガイドラインがあります。前述の「ヘルシンキ宣言」、1997年のヒトゲノム研究の憲法とも言えるユネスコ「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」、国内では、三省合同の「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(2001年~)、日本医学会の「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」(2011年~)、人類遺伝学会等の「遺伝学的検査に関するガイドライン」(2003年~)などです。
ゲノム研究とその市場化が進行している米国では、就職や保険加入での「ゲノム差別禁止法」が施行され、バイオバンクの先進国のヨーロッパ諸国では「バイオバンク」法が策定され、ゲノム提供者の人権の法的保護についての整備は我が国よりは進んでいます。
しかし日本には、一般的な「個人情報保護法」はありますが、遺伝子情報の取り扱いを規定する法律はなく、上記のいくつかのガイドラインだけです。 国内の大規模なヒトゲノム研究は2003年から、東大医科研を中心としたオーダーメイド医療実現化プロジェクトとして、20万人規模のバイオバンクを実施しています。
この場合、提供者との間でゲノム研究の目的(対象疾患)を明らかにして同意を得ることが基本になっていました。ところが、東北メディカル・メガバンクのように、多数の健常者を追跡するゲノムコホートでは、将来の病気は特定できないため「包括同意」が前提になります。
また、大量のゲノム情報の処理を多数の研究機関が連携して行うことになるため、匿名化の方法などその運用を円滑にできるように指針の改訂を求める声がゲノム関係者からあがっていました。
2011年6月16日東北メディカル・メガバンク事業を提案した山本医学部長もその資料で法的問題に言及しています。
別表は、東北メディカル・メガバンク事業の進行と、ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針(以下ゲノム指針)の改訂作業を並列に並べたものです。

東北メディカル・メガバンク事業の進行と、ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針
  出来事 メディカル・メガバンク関連 ヒトゲノム指針見直し
2010年 6月 菅内閣    
7月      
8月      
9月   9/9 第1回新成長戦略実現会議  
10月      
11月   11/30 第1回医療イノベーション会議  
12月      
2011年 1月      
2月 2/18 第1回個別化医療WG(イノベーション推進室)  
3月 3.11東日本大震災 3/30 第2回個別化医療WG(イノベーション推進室)  
4月   4/19 第1回ゲノム指針見直し会議
5月   5/16 第2回ゲノム指針見直し会議
6月 6/3 第2回宮城県復興会議(小宮山発言)
6/11 第9回東日本大震災復興会議(村井知事提案)
6/16 第2回医療イノベーション会議
(山本医学部長プレゼン)
6/7 第3回ゲノム指針見直し会議
6/28 第4回ゲノム指針見直し会議
7月    
8月 宮城県復興計画に東北メディカル・メガバンク事業掲載  
9月 9/30 東北メディカル・メガバンク493億円計上  
10月   10/31 第7回ゲノム指針見直し会議
11月 11/28 第8回ゲノム指針見直し会議
12月   12/19 第9回ゲノム指針見直し会議
2012年 1月      
2月   2/1 ToMMo立ち上げ (2/3〜パブリックコメント)
3月     (パブリックコメント〜3/3)
4月   4/5、4/16、4/25
第1〜3回東北メディカル・メガバンク計画検討会
4/16 第10回ゲノム指針見直し会議
5月   5/15、5/30
第4〜5回東北メディカル・メガバンク計画検討会
 
6月      
7月      
8月      
9月   9/18 宮城県とToMMoの協定  
10月   ToMMo長期子ども健康調査開始  
11月      
12月 安倍内閣    
2013年 1月      
2月     2/8 改訂新ゲノム指針公布
3月      
4月   4/20 ToMMoキックオフシンポ 4/1 改訂新ゲノム指針施行
5月   ToMMo地域住民コホート開始  
6月      
7月   ToMMo三世代コホート開始  

ゲノム指針の見直し作業が開始されたのが、2011年4月19日、2012年2月にパブコメ公示され、2013年4月1日から改訂ゲノム指針が施行されました。
改訂を前提にした大規模ゲノムコホートである東北メディカル・メガバンク事業が、霞ヶ関で決定されたのが2011年10月で、改定作業と並行して東北メディカル・メガバンク事業の準備が着々と進んでいきます。
2013年4月20日にキックオフ集会、5月から地域住民コホートが開始されます。
確かに、住民(被験者)との関係では新指針に則っておりルール違反にはなりませんが、このような両者の流れを巧みに取り仕切ってきた霞ヶ関官僚の手腕には感心してしまいます。
もし、ゲノム指針見直し会議の議論が紛糾するとか、バプリックコメントで反対意見が続出して改訂作業が遅延すれば、東北メディカル・メガバンク事業そのものの実行が不可能になった筈です。
今回のゲノム指針見直しは、最初に結論ありきでスケジュール的に行われたものであることが見て取れます。
このような手法は「ルールの後付け」と言い、倫理的に問題があります。
今回の、ゲノム指針見直しでは、

前文からゲノム研究の憲法に等しい「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」が消え
検体を他の研究機関に提供する場合の「匿名化」の基準を緩め、
インフォームド・コンセントの中に「包括同意」を可能にする内容を挿入し
遺伝情報の開示請求に対し、研究業務に支障がある場合は非開示を可能にする、
倫理員会の外部委員を過半数から複数
にする、 などの研究者の便宜を優先する規定も盛り込まれました。
このような、包括同意の是非や、匿名化や開示請求など個人情報保護法との関わりでもきちんと国民的議論が必要な内容のはずですが、形式的には2012年2月にパブコメを求めたとは言え、一部のゲノム研究者や医学者、倫理学者の間で議論になっただけで、マスコミも取り上げず、対象となる国民の目や耳に入ることはほとんどありませんでした。
実際、パブリックコメントには、ヒトゲノムの取り扱いや使用について、根本的な意見が寄せられていました。(以下引用)
有用性が科学的に確認されていないにもかかわらず、疾患発症や個人資質等を確実に予測できるかのような誤解を与えている遺伝子検査ビジネスに対して、日本医学会は問題視し警鐘を鳴らしている。
ヒトゲノム遺伝情報を遺伝子ビジネスによる営利目的に利用してはならず、ましてや企業や保険会社等が雇用や保険加入の際等に利用し、個人及び血縁者等が不当な差別や不利益を受けるようなことがあってはならないことを明記すべき。
連結可能匿名化試料は当該研究施設が対応表を有するか否かにかかわらず、個人情報漏洩リスクを皆無にすることが困難であると考える。罰則規定のある法律の制定を含め、安全管理体制の強化策の検討を要請する。
またゲノム・遺伝情報による差別禁止など、関連の法律整備を希望します。
提供者のゲノム・遺伝子情報の安全管理を確実にし、安心を担保することで、研究がいっそう進展すると考える。
今回の見直し案では、個人情報保護の方向性が逆にかなりの部分で削がれている点が一番気懸り。
「ヒトゲノム研究」が実験室を飛び出して、地域・職域レベルに拡散しつつある今こそ、一層の倫理面で歯止めを望む。
しかし、三省の回答は、 「遺伝情報の保護や差別行為の禁止に関する法制度の整備については、「研究」を対象とする本指針の範囲を超えるものであり、様々な分野の事業等に関係し、検討すべき事項も広範にわたることから、今後、別途検討すべきと考えます。」 と、法的な規制は別次元とし、官僚の改訂原案通りとなりました。官公庁の行うパブリックコメントはアリバイ的なものが多いですが、これはその典型ともいえます。

今回の改定で、「倫理指針」が「研究マニュアル」に堕したと言えます。
東北メディカル・メガバンク事業の柱の一つである「三世代コホート研究」は、山本機構長も宣伝するように、国内的にも国際的にも“Äb0先進的”Äb0な取り組みのようです。
従来、国内のゲノムコホート研究は、基本的に自己決定可能な成人が対象で、子どものゲノム検査はあくまで特別な患児に限定されていました。
自己決定不可能あるいは参加が強制されるような対象は“社会的弱者”であり、ヘルシンキ宣言からも十分な検討が必要です。
日本医学会「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」では、同意能力がない者を対象とする遺伝学的検査について 「未成年者に対する非発症保因者の診断や,成年期以降に発症する疾患の発症前診断については,原則として本人が成人し自律的に判断できるまで実施を延期すべきで,両親等の代諾で検査を実施すべきではない」 と規定しています。
子どもは独立した人格であり,扶養義務はあっても親の所有物ではありません。
最近、巷ではいかがわしい「ゲノムによる子ども能力診断」が横行している中で、子どもの人権の視点からも、日本医学会は警鐘を鳴らしています。
三世代コホート研究における新生児や子どもの遺伝子検査については、市民的な議論が必要であり、ゲノム学者が一方的に企ててよい問題ではありません。
ゲノム学者の中には、環境省の「エコチル調査」では、新生児のゲノム検査も計画されているとして既成事実化しているような発言もありますが、参加した親たちは、あくまで「子どもの健康と環境の関連調査」と受け止めており、エコチル調査における遺伝子検査のインフォームド・コンセントは成立していません。
さらに、「東北メディカル・メガバンク」はその名の通り、ゲノムと生活や病歴情報を蓄積し解析を行うコホート研究と同時に,それらのデータを民間を含めた研究機関にバンキング(貸し出し)する事業も行う計画です。匿名化しその対応表を厳格に管理して貸し出されるのは当然ですが、匿名化で個人属性リンクは遮断されても、ゲノムと生活・病歴情報はリンクしたまま事業者に出回ることになります。
悪意のある業者にとっては、採取したある個人のゲノムと借り受けた検体を対応させ逆探知することは難しいことではありません。
このように匿名化による元本の対応表からの漏洩がなくても、個人情報の漏えいのリスクは原理的に伴うものです。このような悪意を取り締まる法体系はありません。

おわりに
ToMMoからToMSoへ、県民的な議論の再構築を

ゲノム科学の手法の一つとして、ゲノムコホートそのものを否定するものではありませんが、震災に便乗する拙速な被災地対象のゲノムコホートには反対です。
その最大の理由は、被災地の医療復旧、健康支援、心のケアは切実な課題ですが、「未来の医療のためのゲノム検査」は明らかに国や企業や研究者の押し付けで、被災地住民の切実な要求ではないからです。
医学医療は本来、地域の要求に応えるものでなければなません。
しかも、宣伝される「未来の医療」は約束されたものではなく、被災者にとっては、バイオバンクへのゲノムと個人情報の提供を負わされるだけになる可能性もあります。
日本学術会議が提唱するような、本格的に国家的大規模ゲノムコホートを行うのであれば、その意義、メリット・デメリットを明らかにし、広く国民的議論を行い、提供者の人権を守るために、各種倫理指針や「包括同意」のあり方の検討、バイオバンク法、遺伝子差別禁止法など法的な整備を行ってから全国的にボランタリーに協力者を募って実施すべきです。
ToMMoは、15万人のゲノムコホートが主たる事業ですが、同時に被災地の医療支援事業も具体的に取り組んでいます。医師不足に苦しむ志津川や女川にクリニカルフェローとして募集した医師の派遣を4カ月ローテートで行っています。
また、被災地での健康調査・相談や心のケアなどにも取り組んでいます。
これらは、地域で歓迎されています。
しかし、並行する国家プロジェクトとしてのバイオバンク・ゲノムコホートがリンクするため、この二つの事業が歪めあう関係になってしまいます。 「被災地医療支援」という本来的にヒューマンな活動が、「ゲノム提供」の条件のような影を引きずり、「ゲノム提供」という本来的にボランタリーな協力が、「支援の代償」のような影を引きずることになってしまいます。
このような「影」の元凶は、「被災地を対象としたゲノムコホート・バイオバンク」を拙速に起案・強行した政財官学のトップ集団にあります。
多くの問題を抱えた被災地のゲノムコホート・バイオバンク事業は一時、凍結・再検討とし、被災地の医療支援を最優先に行うという意思決定を、文科省や大学のトップ集団は勇断するべきです。
ToMMoからToMSo(S=support)に変更し、被災地の医療復旧・復興に徹することこそが優先課題です。
どうしても被災地での遺伝子研究を強行するのであれば、時間はかかってもボトムアップの県民的な議論を並行して行うこと、国内の法的整備が遅れている中でゲノム提供者の保護のために、県条例の制定を行うことが必要です。
2013年11月30日、第25回日本生命倫理学会が開催され、末永恵子氏(日本科学者会議福島支部)がオーガナイザーとなってワークショップ「東日本大震災と東北メディカル・メガバンク」がもたれました。
私も、被災地の医療関係者として、率直な問題提起をしました。
参加した会員から、被災地での遺伝子研究に対する倫理的問題を指摘する発言が多く聞かれました。
また、雑誌世界の2013年12月、2014年1月、2月号に、「東北ショック・ドクトリン」の題名で古川美穂氏の取材による東北メディカル・メガバンクに関わる記事が掲載されました。
中公新書ラクレから2014年3月、中井浩一著「被災大学は何をしてきたか」が出版され、その中でも東北メディカル・メガバンクが取り上げられています。
これらの全国的な動きの中で、被災地宮城でも、8月2日に、県民的な議論を行う企画がToMMoも後援し計画されました。(東北メディカル・メガバンクを考える市民フォーラム in仙台 「ヒト遺伝子研究の意義を学びながら、倫理の問題を考える」) 遺伝子研究は高度に専門的な内容ですが、同時に究極の個人情報と言われ、扱い次第では人権侵害を起こします。
専門家に任せるのではなく、市民も参加して正しい研究のあり方を追求する必要があります。
このような、学習・討論の場を、県内各地で開催し、市民の声を研究者に届けていくことが今後必要だと思います。

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