【故高橋 實先生の「ひと」と「功績」】
〜強靭な科学的精神と熱いヒューマニズムに貫かれた人生〜
◆「花岡事件70周年記念市民フォーラム(秋田県大館市)」での講演記録 ◆
村口 至 坂総合病院名誉院長
秋田大館市の花岡鉱山(鹿島建設)で、強制連行されてきた中国人労働者が、労働実態と待遇のひどさに、1945年6月30日に、一斉蜂起したことに対して、日本な官憲が残虐な仕打ちをしました。
日本敗戦後、GHQの指示と思われる、秋田県からの依頼で、当時秋田女子医専の医化学講師の高橋實先生が、診療に従っています。
その時の状況を、翌46年「社会評論」(ナウカ社)に掲載されたことで、「花岡事件」が世に知れることになります。
このきっかけを作った「高橋實」先生について、花岡事件70周年フォーラムでの口演した記録です。
ひとつの事實ー花岡鉱山の中国人労働者に関する一医師の報告より
「社会評論」1946年
- 労働者階級の諸君に、ひとつの事実を報告し、ともに考えたい
- 日本の財閥は、鉱山開発で帝国主義戦争の儲けに夢中だった
- 中国人を強制的に日本に「輸送」した。この途中から栄養不足から死者を出していた。
- 鉱山に到着すると、監獄部屋と変わらない封建的搾取の鹿嶋組の飯場に収容された。
- 賃金は、内地人4.13円、朝鮮人3.96円、華人3.48円
- 結核の集団検診を行なった。
- 中国人労働者に対する軍部的警察的天皇制による扱いは、国内では家を焼かれ、親兄弟夫奪われ、飢餓の中に叩き込まれた同胞が直面している問題である。
- 「戦争」「飢餓」「結核」を克服するには如何にすればよいか。
- 天皇制軍国主義こそは、国際的勤労人民大衆の共同の敵である。この敵からプロレタリアートを解放することである。
花岡事件に関わって
「花岡鉱山の中国人たち 一医師の報告」より
「中国研究」1974年
(1)
- 1945年11月2日∼5日 中山寮で診療活動 79名を診察、結核(含疑い):11名、戦争浮腫:7名、多くに疥癬者あり。
栄養不足による戦争浮腫、劣悪な非衛生環境での疥癬や肺結核が、大量死亡の背景にあることを思わせた。
- 結核集団検診(11月 3日間)全入寮者+鉱山病院入院者564名、ツベルクリン反応受診457名、レントゲン間接写533名
- 鉱山病院入院中患者:結核3名、胃腸炎6名、その他5名
(2)
ツベルクリン反応陽性率:当時の中国(“中支”)での陽性率は、44.5~91.4%
元職種 |
農業 |
商業 |
軍人 |
工人 |
教員 |
人数 |
345 |
5 |
46 |
7 |
1 |
ツベルクリン反応陽性率(%) |
70 |
7 |
87 |
42 |
0 |
移入者の死亡375人の疾患別内訳1944年8月~1945年10月 全移入者982名中37.9%
病名 |
胃腸カタル |
肺炎 |
敗血症 |
赤痢 |
熱射病 |
ワイル氏病 |
件数 |
111 |
41 |
37 |
25 |
19 |
14 |
比率(%) |
2 |
11 |
9..9 |
6.7 |
5.1 |
3.76 |
その他:外傷死2、縊死1、老衰2人あり。
(3)
(4)
- 秋田県の一角で中国人の決起があったことを知ったときは、非常な驚きとともに感動も深かった。
- 「中山寮」の生存者の健康を守ることに全力を挙げることによって、日中両国人民間の相互信頼を回復することが、当面の課題と考えた。
- この自然発生的な暴動、反抗運動を組織した指導者は今獄中にある。7月1日は、この人々が奴隷であることに我慢しきれなくなった日であることを記憶したい。
(5)
- 「集団検診」が農村で、工場で、鉱山で農民委員会や労働組合の手によって、自主的に行われる日を速やかに獲得すること。
- 飢餓と結核との危機に直面している時、科学者や技術家が、労働者、農民に自発的行動を支え、合理的社会的管理を行われる体制をたたかいとるときである。
- 日本の勤労人民大衆を今日の飢餓と窮乏に追い込んだ天皇制帝国主義は、おびただしい数の中国人民を殺戮した。
この共通の敵からプロレタリアートを解放することが課題である。
高橋實先生の若かりし頃
当時の高橋實先生は、秋田女子医専の講師だった。
- 1912年
- 福島県に生まれる
- 1932年
- 旧制福島中学、旧制山形高等学校を経て東北帝国大学医学部
入学と同時に日本共産青年同盟 (共青)に加わる。
社会医学研究会に参加。
- 1934年〜
- 治安維持法違反で検挙投獄。1936年「森鴎外の会」参加
- 1938年
- 卒業、4月熊谷内科入局、6月産業組合診療所(岩手県志和村)
志和村結核予防会組織、全町の結核検診を熊谷内科と共同で実現。
- 1941年
- 東北帝国大学医学部医化学教室助手
- 1942年
- 治安維持法違反で再検挙・起訴、懲役2年、執行猶予。
- 1945年4月
- 秋田女子医専講師 9月花岡鉱山中山寮診察
日本共産青年同盟(共青)とは 〜「社会科学総合辞典」新日本出版による〜
- 1923年4月5日 共産主義青年インターナショナル日本支部として結成され、日本共産党の指導の下に活動した革命的青年組織。
- 関東大震災での反動のテロリズム、3.15、4.16などの度重なる弾圧に屈せず、反軍国主義、反戦闘争、ストラキ、農民運動、文化サークル運動などに取り組んだ。相次ぐ弾圧で、1933年12月活動停止。
日本共産青年同盟加入について 〜「東北一純農村の醫学的分析」執筆のころより〜
- 旧制中学以来の左翼労働運動、左翼農民運動、左翼文化運動の支持活動、解放運動犠牲者救援運動、日本共産党に対する資金援助運動などを経て、意を決した自主的自覚的活動は、医学部入学とともに始まった。
医学生時代「森鴎外の会」
中央:太田正雄皮膚科学教授(文豪 木下杢太郎) その左に高橋實医学生
医師になり、岩手県志和村の産業組合診療所に派遣されてから、結核診療、検診に取り組みその2年間での医学的調査研究を発表した。
朝日新聞論説主幹杉村武の推薦により同社からも出版されている。社会事業協会会長賞受賞。
この2年後に、治安維持法で再逮捕されている。
中谷敏太郎「奇妙な矛盾」 〜「わが愛は山の彼方ー高橋實・人と著作」より〜
- マルクス主義の立場に立ち、農民の封建的隷属と資本制の軛からの解放と政治的民主主義の獲得の道を「科学的真理」として示唆した。
- 志和村に赴任した38年は、国家総動員不法制定、農地調整法制定。
- 労働力と兵力の危機的劣化の中での農村の結核問題の深い調査が明らかにした“科学的普遍妥当性”を時の権力は無視できなかった。
- しかし、日本社会の問題(恥部)を社会的に明らかにしたことは、当時の天皇制権力は無視できず、治安維持法で再検挙した。
(村口)
- 研究の目的は、資本が農民の健康と生命をどのように破壊しているかを解明することにあった。
- 都市と農村、農民の過労と出稼ぎの関係でとらえようとした。
- 学童検診から始まり、全村民の検診へと発展させた。
医学部熊谷内科と協力し、胸部間接写真方式を持ち込んだ。
「志和村結核予防会」を組織し、地域座談会を開き保健教育を進めた。
- 保健実践活動を「社会医学」へ高めた。
松田道雄1908~1998の感想 「京の町かど」から「結核」
- 私は、著作から大きなショックを受けた。私の「結核」は、都会の中の役人の悲鳴だが、彼の仕事は、文字どうり農民への献身であった。
- 私は、4時がすむと大学の小児科の図書室に引き上げてそこで本を読んだが、高橋氏は24時間の全部を村の診療所に捧げていた。
- 私は、少し危ないと思いながらも、島木健作の「生活の探求」を引いて、それを超えるものとしてこの著作をほめた原稿を帝大新聞に送った。
- 京都帝大の医学部で「社会医学」を研究しているグループが検挙されたときその下宿には、この本とわたくしの「結核」が発見されたという。
日本結核学会総会 森亨会長講演 2003年
「結核と社会」で日本の結核研究の歴史に位置づけた。
- 日本では、農商務省が1900年前後の工場労働者の社会経済問題を「職工事情」として報告。
【工場労働者の結核調査】
- 石原修 1914年 「衛生学上ヨリ見タル女工之現況」発表
- 細井和喜蔵 1925年「女工哀史」
【農村の結核】
高橋實先生の戦後の活動、活躍
宮城県塩釜市の坂病院をフィールドに社会活動に取り組む。
- ポリオ生ワクチン輸入運動
- 塩釜市長候補活動
- 国際平和友好運動
日本の医療の民主化、社会保障改善運動
高橋實先生の代表的著作
- 「農村衛生の實證証的研究 東北一純農村の醫学的分析」1940年
- 「ひとつの事實 花岡鉱山の中国人労働者に関する一醫師の報告」1946年
- 小説「わが愛は山の彼方に」(岩崎書店)1948年 東宝映画 豊田四郎監督 池辺良主演で映画化
- 農村医療の諸問題 「岩手の保健」連載1953年
- 花岡鉱山の中国人たち 「中国研究」 55、57号 1973年
- ポリオ闘争における民衆と科学者 「日本の科学者」11巻10号 1976年
- 木下杢太郎と日本医学史 1985年
遺稿集として1994年「高橋實・人と著作」 刊行委員会より出版
高橋實先生の人生と残したもの
宮城県塩釜市の坂病院をフィールドに社会活動に取り組む。
- 東北の農民に心を寄せ、科学的ヒューマニズムの精神を発揮し、農村における結核の調査分析を通して、軍国主義日本社会の問題を解明した。
- 日本敗戦直前の花岡鉱山の華人労働者の一斉決起に対する残虐極まりない弾圧の2ヶ月後に、中山寮の診療に当たり、その事実を始めて世に明らかにした。
- 戦後、日本医療の民主的構築と社会保障改善運動での全国的役割を担った。
- 国政の革新・平和・人権を守る運動のリーダーとしての役割を担った。