東北地方医療・福祉総合研究所のロゴタイプ

【故高橋 實先生の「ひと」と「功績」】

〜強靭な科学的精神と熱いヒューマニズムに貫かれた人生〜 ◆「花岡事件70周年記念市民フォーラム(秋田県大館市)」での講演記録 ◆ 村口 至 坂総合病院名誉院長

秋田大館市の花岡鉱山(鹿島建設)で、強制連行されてきた中国人労働者が、労働実態と待遇のひどさに、1945年6月30日に、一斉蜂起したことに対して、日本な官憲が残虐な仕打ちをしました。
日本敗戦後、GHQの指示と思われる、秋田県からの依頼で、当時秋田女子医専の医化学講師の高橋實先生が、診療に従っています。
その時の状況を、翌46年「社会評論」(ナウカ社)に掲載されたことで、「花岡事件」が世に知れることになります。
このきっかけを作った「高橋實」先生について、花岡事件70周年フォーラムでの口演した記録です。

ひとつの事實ー花岡鉱山の中国人労働者に関する一医師の報告より
「社会評論」1946年

花岡事件に関わって
「花岡鉱山の中国人たち 一医師の報告」より
「中国研究」1974年

(1)

(2)

ツベルクリン反応陽性率:当時の中国(“中支”)での陽性率は、44.5~91.4%

元職種

農業

商業

軍人

工人

教員

人数 345 5 46 7 1
ツベルクリン反応陽性率(%) 70 7 87 42 0

移入者の死亡375人の疾患別内訳1944年8月~1945年10月 全移入者982名中37.9%

病名

胃腸カタル

肺炎

敗血症

赤痢

熱射病

ワイル氏病

件数 111 41 37 25 19 14
 比率(%) 2 11 9..9 6.7 5.1 3.76

その他:外傷死2、縊死1、老衰2人あり。

(3)

(4)

(5)

高橋實先生の若かりし頃

当時の高橋實先生は、秋田女子医専の講師だった。

1912年
福島県に生まれる
1932年
旧制福島中学、旧制山形高等学校を経て東北帝国大学医学部
入学と同時に日本共産青年同盟 (共青)に加わる。
社会医学研究会に参加。
1934年〜
治安維持法違反で検挙投獄。1936年「森鴎外の会」参加
1938年
卒業、4月熊谷内科入局、6月産業組合診療所(岩手県志和村
志和村結核予防会組織、全町の結核検診を熊谷内科と共同で実現。
1941年
東北帝国大学医学部医化学教室助手
1942年
治安維持法違反で再検挙・起訴、懲役2年、執行猶予。
1945年4月
秋田女子医専講師 9月花岡鉱山中山寮診察

日本共産青年同盟(共青)とは 〜「社会科学総合辞典」新日本出版による〜

日本共産青年同盟加入について 〜「東北一純農村の醫学的分析」執筆のころより〜

医学生時代「森鴎外の会」

中央:太田正雄皮膚科学教授(文豪 木下杢太郎) その左に高橋實医学生

医師になり、岩手県志和村の産業組合診療所に派遣されてから、結核診療、検診に取り組みその2年間での医学的調査研究を発表した。
朝日新聞論説主幹杉村武の推薦により同社からも出版されている。社会事業協会会長賞受賞。
この2年後に、治安維持法で再逮捕されている。

中谷敏太郎「奇妙な矛盾」 〜「わが愛は山の彼方ー高橋實・人と著作」より〜

松田道雄1908~1998の感想 「京の町かど」から「結核」

日本結核学会総会 森亨会長講演 2003年
「結核と社会」で日本の結核研究の歴史に位置づけた。

【工場労働者の結核調査】

【農村の結核】

高橋實先生の戦後の活動、活躍

宮城県塩釜市の坂病院をフィールドに社会活動に取り組む。

日本の医療の民主化、社会保障改善運動

高橋實先生の代表的著作

遺稿集として1994年「高橋實・人と著作」 刊行委員会より出版

高橋實先生の人生と残したもの

宮城県塩釜市の坂病院をフィールドに社会活動に取り組む。

Copyright ©東北地方医療・福祉総合研究所 All rights reserved.